『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子
2009年、63冊目。小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』
実在の人物とも思わせる不思議な主人公”盤下の詩人”リトル・アリョーヒンの物語。
チェスがわかっているともっと面白いんだろうな、と思わせるチェスの話。
ただ、チェスの巧拙や勝負の醍醐味というよりも、むしろチェスに詩を感じさせるような雰囲気のある作品といったらいいでしょうか。
祖父母と弟と暮らす無口な少年はある日、学校のプールで死体を発見する。
死体となった男の働いていたバス会社の独身寮を興味本位で覗きに言った少年は、そこで廃車となったバスの中で暮らす肥満体の男と出会った。
そこが気に入った少年はそこで男からチェスを習うこととなる。男をマスターと呼ぶようになった少年だったが、難局となった際にはチェス板となったテーブルの下にいる「ポーン」という名の猫をなでながら考えるという癖がついていく。そのうち、対局の間中、テーブルの下に籠もるという独自のスタイルを身につけてしまう。
マスターは少年に新たな対戦者を見つけるべく「パシフィック・チェス倶楽部」に少年を誘うが、その入会審査で、テーブルの下に隠れる少年の指し方は失格負けになってしまう。
また、マスターとの二人でのチェスに戻ったが、程なくマスターは巨体を持て余し、死んでしまう。
傷心の少年を迎えに来たのは、パシフィック・チェス倶楽部の事務局長。アンダーグラウンドのチェス倶楽部「パシフィック・海底チェス倶楽部」に用意された自動チェス人形「リトル・アリョーヒン」の内部に潜んで、少年にチェスを指すことを求めたのだ。
グランドマスター、アレクサンドル・アリョーヒンに因んで作られた人形と同じくリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになった少年は、記録係としてついた少女ミイラとともに、来る日も来る日も人形のなかで会員とチェスを指し続けるのだった。
巨体のせいで死んだマスターを目にしたリトル・アリョーヒンの心は身体の成長を拒み続け、11歳の身体のまま大人になっていった。
ある日、酒に酔った会員により人形を壊されてしまったリトル・アリョーヒンは「人間チェス」を任される。人間が駒の代わりをするチェスに戸惑いながらもリトル・アリョーヒンは勝利するが、期せずしてミイラを傷つけてしまう。
海底チェス倶楽部を離れることを決意したリトル・アリョーヒンは家具職人である祖父と弟に”リトル・アリョーヒン”を分解して持ち運べるよう改造することを依頼する。傷ついたリトル・アリョーヒンが海底チェス倶楽部を離れようとしているのを察していた、人形製作のパトロン老婆令嬢はリトル・アリョーヒンと最後のチェスを指し、リトル・アリョーヒンに進むべき道を示す。
老婆令嬢の案内によりリトル・アリョーヒンが辿り着いたのは”老人専用マンション・エチュード”。エチュードはチェス連盟の前々会長が創設したチェス連盟メンバーのための老人施設だった。
雇われたリトル・アリョーヒンは夜間にチェスを求める入居者たちとチェスを指すのだった。
決して、大きな事件が起きるわけではありませんし、どちらかといえば主人公が純粋ではあるものの夢見がちという設定もあるのでしょうか、淡々と起伏なく物語は進行します。
勿論、マスターの死や祖母の死、海底チェス倶楽部からの逃走、国際マスターS氏との対戦といった相対的には大きなイベントもあるのですが、どちらかというと事象よりも心情中心の描写は、ストーリーとして読ませるものではありません。
”盤上の詩人”とも言われるような棋譜と同様、この物語自身も心情中心の詩的なイメージを感じさせるようになっています。そのためか、殆ど人名が存在しません。また、客観的に見れば、貧しく教養を培うこともできないままに、その無教養のまま、貧困から脱出することもできず、上流階級に食い物にされるだけの、悲しい存在にも見えます。そんな境遇にあっても、その才能、感情の豊かさを称揚すべきなのかもしれませんが、ちょっと全体のトーンが暗いような気がしてなりません。
人物描写については、その設定の奇妙さが逆に真に迫って感じさせます。唇に脛の皮を移植したせいで、唇から脛毛が生えてくるという奇妙な設定や、ミイラや老婆令嬢という名称。引っかかり、その醜悪さを感じながらも、だからこその存在感を感じさせられます。
でも、この描写って、全体とどうマッチングするんでしょう。作品全体の背景に流れるマイナスのトーンを強める効果なんでしょうか。
お奨め度:★★★☆☆
再読推奨:★☆☆☆☆
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