『どすこい(仮)』 京極夏彦
2009年、12冊目。京極夏彦『どすこい(仮)』
「地響きがする-」で始まる、力士と忠臣蔵を扱ったギャグ連作。
先に『南極(人)』を読んでしまいましたが、その前作(?)になるんでしょうか。
勿論、共通(類似)するキャラクターが登場するという意味だけで、全くつながりはありませんから、特に前後も関係はありませんが。
四十七人の力士(オリジナル:四十七人の刺客) /新京極夏彦(同:池宮彰一郎)
地響きがする - と思って戴きたい。
元禄15年12月14日の深夜、地響きをたて、江戸・本所の通りをいく集団があった。
横綱大石山蔵之助を先頭にした47人の力士と一人の行司である。
目指すは本所一つ目、元高家筆頭吉良上野介の屋敷である。
吉良邸に討ち入った力士たちは次々と吉良家用人を投げていく。
炭小屋に隠れた吉良上野介と試合うのは、当然、横綱大石山。
パラサイト・デブ(オリジナル:パラサイト・イブ) /南極夏彦(同:瀬名秀明)
地響きがする - と思って戴きたい。
中間小説誌の編集者猫塚留美子は『特捜科学最前線』のライター松野秀輔とともに、松野(本名:田力蔵之輔)の故郷、田力村に向かった。
田力村で氷漬けの巨人が発見されたのだ。
道中、相撲取り好きの松野は先月号に掲載された『四十七人の力士』は力士を揶揄するものとして、猫塚を批判する。
山奥の田力村の更に山の上にある研究所(所長:当麻九郎兵衛)に巨人は保管され、研究されていた。
田力村の伝統行事褌祭を司る「犢鼻褌神社」の奥の院を覗いた田力石之輔(松野の兄)が氷穴の中に巨人を発見したのだ。
この変死体は法医学者の手から考古学者堀部安雄の手に委ねられ、それ以降、研究所では鮎の三倍体の養殖の傍ら、巨人の研究が進められていた。
鮎の三倍体開発に協力した清水一郎は、巨人は当麻らが言うような三倍体ではなく、現在の人類とはミトコンドリアの形状が違うことを指摘した。ミトコンドリアが米俵のように丸々と太っているのだ。
研究所の中、純粋酸素で満たされたガラスケースに入れられた巨人は見事なアンコ型。
しかし、この巨人は生きていた。
その夜、暴れだした巨人は次々と研究員を投げ、殺していった。
すべてがデブになる(オリジナル:すべてがFになる) /N極改め月極夏彦(同:森博嗣)
地響きがする - と思って戴きたい。
中間小説誌の編集者椎塚有美子は怒り狂っていた。
同僚寺坂吉男が掲載した『パラサイト・デブ』にである。
自身がモデルと思しきキャラクターが登場するからだ。
そんな愚作の作者である南極夏彦にファンレターが来たらしい。文芸部の神埼五郎が手渡した南極へのファンレターを有美子は勝手に開けてしまう。
しかし、中身はファンレターではなかった。それは片岡太という”ぬりかべ”男から届いた召喚状であった。
『パラサイト・デブ』は実話ではないか、というのだ。
福島県にある片岡家の持ち山の古い神社から古墳が発見された。地下に秘密基地を設け、調査に赴いた天才科学者目方重太郎博士や弟子の浅野卓郎博士だったが、片岡によれば籠もったきり3年も出てこなくなってしまったのだという。モニターに何も映らなくなってからも半年が経過している。しかし、地響きがすることから、生きているはずだというのだ。
56歳の簾禿げ南極夏彦を引き連れ、椎塚、寺坂、神崎ら4人は片岡家へ向かった。
片岡家に着いた一行は地下研究所に繋がるモニターを覗いた。そこに半年ぶりに動く影があった。血だらけになり、太った目方博士である。
浅野博士は辞世の句を残して死に、目方の命も風前の灯。
早速、隧道を通って地下研究所へ至った椎塚、南極、寺坂、神崎の4人(片岡は太すぎて隧道を通れない)だったが、自動制御されたドアは4人を研究所に閉じ込めてしまう。
ワークステーションを調べた寺坂がびっしり並んだ力士型のアイコンの一つをクリックした途端、消えていたすべてのディスプレイがいきなり点いた。
「すべてがデブになる」
ディスプレイには一文字ずつ、勘亭流の黒々とした文字が映し出されていた。
寺坂が食料を探して押し入った部屋で見つけたもの。
それは揺れる巨大な力士たちだった。
土俵(リング)・でぶせん(オリジナル:リング・らせん) /京塚昌彦(同:鈴木光司)
地響きがする - と思って戴きたい。
50年前、そういう書き出しで始まる一篇の小説が帝都を恐怖のどん底に陥れた。
読めば死ぬという呪われた小説である。タイトルを『悉く肥え太る』という。
小説家吉良公明は駿栄社の看板雑誌『小説芝生』の編集者色部叉五郎に、自身の原稿と引き換えに、呪われた小説の作者を探すよう求めていた。
その呪われた小説に吉良のことが載っているらしいのだ。
作者は吉良らを知っている者であろう。上野のカフェ『陣太鼓』の女給千津川芙美子が作中の登場人物椎塚有美子に似ていることを知った吉良は叉五郎に調べさせようとしていたのだ。
しかし、呪いを怖れた叉五郎は原稿をひったくって逃げようとしたが、これは吉良の罠だった。叉五郎が目を通した原稿こそが呪われた小説だったのだ。
直後、ドアの向こうに立ったのは裸の力士だった。
そして、現在。
吉良公明の孫公一は友人である文芸誌『小説ツバメ』の編集者色部又郎に相談していた。
50年前の事件と酷似することが起こっているのだ。
即ち、『小説ツバメ』に載っている小説『すべてがデブになる』である。
又郎を問い詰める公一の前に立ったのは、N極改め月極夏彦こと千津川寿美子だった。
寿美子は祖母芙美子が果たせなかったことを果たそうとしていたのだ。
即ち、強すぎて相撲界を追放された祖父六代目大石山に相撲を取らせてあげることだった。
脂鬼(オリジナル:屍鬼) /京極夏場所(同:小野不由美)
地響きがする - と思って戴きたい。
村の医師浅野巧巳と友人の住職吉良静珍は首を捻っていた。
死んでから火葬するまでの間に、遺体が太っていたのだ。
市役所の堀部安太郎は急激に増加した死者の数をみて、医師浅野巧巳の謀略を疑っていた。
村のはずれに住む人気ホラー作家京塚昌彦は編集者弓塚千津に責められていた。『土俵(リング)・でぶせん』のラストで冗談で紹介した続編『LOOP(まわし)』を書けというのだ。
昌彦は千津に作品の元ネタを紹介する。
この村では3日間供養せず放置しておくと、屍体がむくむく太るという言い伝えがあるのだ。これを”膨れ上がり”という。膨れ上がった屍体は息を吹き返し、仲間をつくるために、他の屍体を隠すのだという。彼らは徒党を組んで村中の食い物を貪り食うのだ。
村では浅野、吉良、堀部らが不安を抱いていたように、着実に太って徘徊する屍体が増えていた。
昌彦の別荘でも蓄えられた食糧が何ものかに食われているようなのだ。
雪崩のために県道が埋まった村では着実に食料は減りつつある。このまま手を拱いていれば、村人が屍体に襲われるかもしれない。
村人を前に千津はその危険を主張するのだった。
理油(意味不明)(オリジナル:理由) /京極夏彦(同:宮部みゆき)
地響きがする - と思って戴きたい。
『脂鬼』の作者京極夏場所であると噂される京極夏美は困り果てていた。
タイトルは小野田冬彦の作品のパロディでありながら、なぜか作者名が夏美の名前をもじったものなのだ。
読者は誰もが夏美の書いたものだと誤解し、夏美を非難する。
困惑する夏美が事情を知っていそうな集泳社の千津野久美を問い詰めると、久美は重い口を開いた。
この一件は久美が仕組んだこと。
大学の後輩である相撲部の大石倉夫が京極夏場所の正体だ。
父倉吉に赤穂部屋の入門テストを強いられていたが、相撲が嫌いな倉夫は小説家になりたかった。相撲取りになるの諦める条件として、倉吉が出した課題は1箇月以内に作品を発表することだった。
そこで久美が一肌脱いだのだ。夏美を騙ったのは、一番御しやすかったからである。
倉吉が倉夫に相撲を強いたのには、倉吉の父倉兵衛から受け継がれた理由があった。
連戦連勝を誇った無敗の伝説の力士大石山が倉吉の父倉兵衛である。横綱昇進最短記録更新を目されていた大石山だったが、優勝すれば横綱間違いなしという大切な場所の大切な取り組みを目の前にして失踪していた。
人三化七という面相の大石山がちやほやされるのに嫉妬した大石山の父倉太郎は大事な試合の前、大石山を呼び出して負かしたのだ。
以降、倉太郎と戦い続ける大石山(倉兵衛)だったが、一度も勝つことはできず、その雪辱戦が倉吉へと受け継がれ、今や倉夫の代にも至っていたのだ。
ウロボロスの基礎代謝(オリジナル:ウロボロスの基礎論) /両国踏四股(同:竹本健治)
地響きがする - と思って戴く必要はない。
京極夏彦が行方不明となった。
最後の目撃者宇山の証言によれば、帝国ホテルを出たところで、京極夏彦は裸にまわしをつけた四五十人の力士たちに攫われたのだ。
深夜の路上で密談をする京極夏彦担当の各社編集者たちだったが、誘拐なのか失踪なのか結論は出ない。しかし、その中でも責任を思い知らされたのは『理油』を掲載した『小説すばる』の編集者遅塚だった。
遅塚は集英社の会議室に当代きっての売れっ子ミステリ作家を集めて助言を求めた。
出席したのは山口(雅也)、二階堂(黎人)、綾辻(行人)、我孫子(武丸)、貫井(徳郎)、北村(薫)、法月(綸太郎)、笠井(潔)、竹本(健治)、東野(圭吾)
京極夏彦は作者両国踏四股の作り上げたキャラクターの中でも評判のいいキャラクターだったが、この展開では死ぬことにもなりそうだ。
そんな展開に、ここまで読んだ編集者の大石は異論を述べる。
47人の力士に攫われるという件について問われた両国は、己の作品でもあり、自身の先祖の日記を現代語訳した『本所宇兵衛日記』を紹介する。
作品でも触れられなかった口外を禁じられた話が47人の力士についてだったのである。
馬鹿馬鹿しいんですが、毒がない分、純粋に楽しめる作品になっています。
世間の誰もが、いつも高尚な話をしているわけではありません。その意味では、我々が普段行っているような馬鹿話に、ちょっとテーマを作って小説にしてみました、といった印象を持つ作品です。
笑いどころはちょっと対象者を年齢が高めの人においていますね。若い人にはわからないようなところも多数あります。まぁ、40~50代の人を対象にした笑いといってもいいかもしれません。
連作の構造としても、第1話が第2話では掲載された作品として紹介され、更に第3話では第2話が取り上げられて、と多重的になっていて面白い。最後に第1話に帰るような形でうまく閉じているような感じになっています。
ただ、作品の構造はともかく、結局のところ「なぜ」と考えちゃいけない作品なんでしょう。とにかく馬鹿馬鹿しいという、そのことを楽しむだけです。
また、パロディもオリジナル作品をある程度下敷きにしており、それはそれで楽しめるのかもしれません。こんなパロディにされてしまって、別に腹がたたないのは、それほどオリジナル作品が好きではないからということなのでしょうか。
続編(?)の『南極(人)』になると、オリジナルとの類似点は殆どタイトルだけになってしまっていますから、その意味でもこの作品の方が二倍楽しめる作品ではなかったでしょうか。
南極夏彦についても『南極(人)』に比べると、人がましい扱いをされていますし、南極自身もそれなりのプライドを持っているような素振りが見えます。こうやって、短期間に二者を比べると、やはり『南極(人)』での醜悪ともいえるやり取りは悪い意味で際立ってしまいそうです。
お奨め度:★★☆☆☆
再読推奨:★★☆☆☆
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