『冬の喝采』 黒木亮
2008年、210冊目。黒木亮『冬の喝采』
今までのビジネス小説とは全く異なり、自伝ともいえる陸上、箱根駅伝の話です。
黒木亮(金山雅之)って、早稲田で箱根駅伝走っていたんですか。ちょっと驚いてしまいました。
昭和46年:
中学2年になる直前、金山雅之は月刊「陸上競技マガジン」を手にし、長距離走への衝動に突き動かされ、一人で走り始める。
北空知マラソン中学生の部(6km)優勝。
中体連北空知地区陸上競技大会、2000m優勝。
全国放送陸上旭川地区大会(於近文陸上競技場)、2000m優勝、全道3位。
全道中学選手権(於京極町)、2000m5位。
昭和47年:
北北海道地区屈指のクラブチーム「旭川走遊友会」(リーダー神村千里)に参加。
中体連北空知地区陸上競技大会、2000m優勝。
旭川陸上競技協会主催記録会(於近文陸上競技場)、1500m 北海道中学歴代2位(同年の全国中学ランキング5位)。
全国放送陸上旭川地区大会(於近文陸上競技場)、2000m優勝、全道5位。
全道中学選手権(於千代代公園陸上競技場)、2000m優勝、800m4位。
北海道新人陸上競技大会(於士別市)、800m3位(北海道中学新記録)。
第6回全道陸上競技大会兼青森・東京間駅伝代表選出選考会(於栗山町)、1500m2位(後の国士舘大学佐藤修が1位)。
昭和48年:
深川西高校に進学し、友人伊東和一とともに陸上競技部に入部する。
タイムス・ロードレース(少年の部)、5マイル8位。
3年の岩倉の投擲によるハンマーが伊東の側頭部を直撃し、大怪我。一命を取り留めるが、右目を失明。
第23回北空知高等学校陸上競技大会(於美唄市営陸上競技場)、800m2位、1500m優勝、5000m優勝。
第26回全道高校陸上競技大会(於岩見沢市営陸上競技場)、800m予選落ち、1500m予選落ち、5000m3位。
全国高等学校総合体育大会(於三重県営総合競技場)、5000m予選落ち。このインターハイで初めて瀬古利彦(当時四日市工業2年)を見る。
伊東が自宅前の小川で溺死。
第28回国民体育大会陸上競技北海道予選会(於東陵公園陸上競技場)、5000m総合5位(高校生3位)。
第23回青森・東京間駅伝代表選出選考会(於千代代公園陸上競技場)、ジュニアの部10km2位。
11月頃から左足首に違和感があり、原因不明の故障へ。病院通いの成果なく、怪我は治らない。
昭和49年~50年:
怪我が治らないまま筋力トレーニング中心の練習に終始。
昭和51年:
走れない辛さを勉強にぶつけ、受験勉強に励む。その甲斐あって、早稲田の政経、法、一文、社会科学、慶応の文に合格し、早稲田の法学部を選ぶ。
上京した父親から養子であったことを告知される。
代々木上原のアパートに住み、軽い練習を再開。
阿部馨教授にスポーツ医学で有名な北品川病院を紹介され、河野稔院長によりギプスを6週間付けられる。
早稲田大学体育祭ロードレース、2位。~カムバックできそうな予感。
昭和52年:
1月、陸上同好会に参加。
3月、早稲田大学競走部(中村清監督、林康宏主将)に入部。中村監督から1年間は準部員として1年生と同じに扱う旨、申し渡される。
同学年1期上=瀬古利彦(教育学部体育学専修/四日市工業高校卒)、石川海次(同/中京高校卒)等
同期の1年生=小田和利(教育学部体育学専修/中京高校卒)、佐藤剛史(同/佐倉高校卒)、滝川哲也(同/保善高校卒)、甲斐鉄朗(同/中津商業卒)等6名。
6月、九大学長距離記録会、5000m[15秒29.1]
7月、猿ヶ京温泉にて中長距離ブロックの合宿(3泊4日)。
8月、霧が峰高原にて競走部全体合宿(5泊6日)。
左足土踏まずを庇ううち、右足を負傷。骨膜炎の診断。出場予定の北海道選手権を欠場。
復帰後も足に痛みが残る中、箱根駅伝に向けて練習に励む。
中村監督の指示のもと走るも、怪我は悪化し、走れない状態に。非難・罵倒する中村との間に懸隔が生じる。
箱根駅伝の14名のメンバーに入る。
昭和53年:
第54回東京箱根間往復大学駅伝競走”箱根駅伝”、7区甲斐の付き添い。
第12回青梅報知マラソン(30km)、42位[1時間42分16秒=北海道歴代4位]。
第3回静岡駿府マラソン大会(20km)、4位[1時間5分54秒]。
1期下、2学年下入部=寺内正彦(教育学部体育学専修/専修大学松戸高校卒)、井上雅喜(同/大濠高校卒)、加藤正之”社長”(同/蒲郡東高校卒)等7名。
タイムス・ロードレース(10マイル)、3位[52分8秒1]
関東学生選手権30km出場予定だったが、病気のため欠場。
併せて退部を申し出るが、瀬古に慰留され撤回。
第54回早慶戦(於国立競技場)、5000m2位[15分2秒8]
第3回新潟県20キロロード選手権、6位[1時間4分33秒]。
第1回府中多摩川マラソン大会(20km)、6位[1時間3分31秒7]。
第3回健康づくり静岡マラソン大会(19km)、4位。
箱根駅伝にエントリーされるが腰痛が続く。
昭和54年:
第55回東京箱根間往復大学駅伝競走”箱根駅伝”、3区[1時間9分56秒=区間13位、早稲田大学:往路2位、総合4位]。
~2区で瀬古が首位に立ち、トップでわたされたタスキを4区井上に繋ぐ。
第27回読売全国マラソン勝田大会、12位[2時間29分6秒]。
第27回日比野賞中日マラソン、39位[2時間36分2秒]。
2期下、3学年下入部=金井豊(教育学部体育学専修/沼田高校卒)、滝田輝行(同/佐倉高校卒)、山本顕(同/宇治山田商業高校卒)、大和清孝(同/姫路東高校卒)等7名。
第58回関東学生陸上競技対校選手権大会”関東インカレ”(於国立競技場)、30km17位[1時間46分11秒]。
7月、北海道常呂町にて中長距離ブロックの合宿(6泊7日)。
8月、霧が峰高原にて競走部全体合宿(5泊6日)。
第55回早慶戦(於国立競技場)、5000m15~16位[15分15~16秒]。
就職活動 ~ 偶々覗いた就職説明会以降の拘束のすえ関西系都銀(三和銀行)に内定。
第4回新潟県20キロロード選手権、4位[1時間3分7秒=自己新]
第2回府中多摩川マラソン大会(20km)、7位[1時間1分58秒8=北海道新記録]。
昭和55年:
第56回東京箱根間往復大学駅伝競走”箱根駅伝”、8区[1時間10分2秒=区間6位、早稲田大学:往路2位、総合3位]。
~4位で7区佐藤からタスキをわたされたが、途中腹痛で失速。最後挽回し、4位のまま9区小田に繋ぐ。
箱根駅伝をもって引退。
昭和62年:
関西系都銀の津田沼支店、アラビア語研修、横浜支店、エジプト留学を経て日本橋支店。
昭和63年:
ロンドン支店国際金融課。
実父田中久夫に連絡をとる。~実父もまた明治大学の箱根駅伝の選手(第23回:10区=区間4位、第24回:3区=区間12位、第25回:3区=区間1位-区間新記録、第26回:8区=区間4位)だった。
思っていたよりも面白かったというのが実感ですが、ちょっと気になる点が・・・。
「小説」という感じではないですね。あまり突き放したような客観性がなく、主観的に全てが語られるので、あくまで「自伝」であって「小説」ではありません。
また、確かに怪我で長期に故障するというところは鬱屈を感じさせるところではありますが、印象で語るとすれば「自慢話」。自伝だとすると、若干閉口してしまいます。
瀬古利彦が自伝を書くのであれば、彼の陸上の成績を自慢とは言わないのでしょうが、黒木亮が世に評価されるのはあくまで作家としてであって陸上選手としてではありません。そのことから、「俺は長距離でもすごいんだぞ」というような自慢話を延々と聞かされるようで、嫌らしい感じを受けるのかもしれません。
勿論、数多く記されるレースの数々の駆け引きは、それはそれで面白いのですが、根底にそういった嫌らしさを感じてしまう分だけ、のめり込めないところが残念です。
もっとキャラクター化、客観化して、物語られれば、受ける印象も違ったのでしょう。特に、小説と異なり、他の登場人物の造形は主人公たる作者の受ける印象でしかありませんので、極めて偏向的で深みがないことも残念なところかもしれません。
次回は経済小説等、本業の「小説」書きに戻ることを期待して止みません。
お奨め度:★★★☆☆
再読推奨:★★☆☆☆
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